『想いにむけて行動し続けることで道が開ける』 好きなことの継続によって見つかった情熱 彼女の情熱との出会い |
|
ヨーロッパとアジアの文化が混同する街・イスタンブールで出会いました。彼女から、「突き詰める」事の大切さを学ばされました。彼女は、興味を持っているものや、好きだと思えることを継続してすること。そうすることで、道が現れる、それを実際に体現していました。挫折を味わいながらも、自分の想いを大事にして行動している。だからこそ、しっかりした道が出来、芯がしっかりしている人間になれる、そう感じさせてくれました。 もともとは面識がある程度でしたが、世界1周中に「トルコにいますので、トルコで会いませんか」とお誘いをもらったのがきっかけでした。会ってみると、現地のトルコ人以上に生き生き輝いており、情熱的で幸せそうで、まさしく自分の追い求める像でした。 「とること日本の架け橋になりたい」そんな想いを糧に、大学卒業後、奨学金を得て、彼女単身でトルコに飛び出しました。トルコ言語学校で言語を学びながら、トルコの大学院に受験し、見事合格しました。そんな前しか向いていない彼女も最初は何がしたいのかわからない普通の人であったといいます。何が彼女を変えたのか、彼女を支える想い、そこを知りたくてインタビューしました。 以下がインタビューですが、うまく彼女の想いが伝われば嬉しいです。 |
|
Q:あなたの情熱は 「トルコ」という国・文化です。 トルコは日本と似ています。それを研究して、日本とトルコをもっと身近なものにしたい、架け橋になりたいと思っています。 Q:具体的にしていること 今は、トルコ語の勉強をしています。9月からトルコの大学院に進学することが決まりました。大学院で日本とトルコの文化比較の研究をしたいと考えてますので、今はトルコ語と日本の文化を勉強しています。 |
|
Q:情熱との出会い@ 幼いころに、祖母から海外のお土産をよくもらっていて、海外に興味を持ってました。ただ、将来何をしたいのかわからない日々を過ごしていました。大学時代にどうせならと、海外旅行に時間さえあれば行ってました。そこで、海外に住みたいな、という気持ちが芽生えてきました。 そう思っていたタイミングで大学で「文化比較」の授業に出会い、いろんな文化を比較することの面白さに気づきました。勇気を振り絞って教授に、私もその道で進みたい。とお願いしましたが、この道は出口がないからと、断られてしまいました。その時は、ひどく落胆しました。 |
|
Q:情熱との出会いA それからも海外旅行を続け、トルコのイスタンブールに訪れました。そこで、他国とは違う、けど日本とどこか似ている、そんな雰囲気や人柄を感じました。下心(ぼったくり等)なしに、声をかけてくれたり、親切にしてくれる点など。そして帰国のときに、「帰るのが寂しい、また帰ってきたい」と初めての感情になりました。 そこで、点と点が線になりました。「私、トルコが好き。日本とトルコの架け橋になりたい」と。 日本がダメならと、トルコの奨学金の選考会に参加し、自分の思いを演説し、まさかの合格をいただけ、こうしてトルコに来ることが出来ました。そして、その想いを糧に勉強し、大学院に受かることも出来、トルコと日本の文化や人の比較研究が出来るようになりました。 |
|
Q:挫折をどうやって乗り越えたか 『やれることが出来る「今」、挑戦しなさい』という言葉に救われました。 毎日のように祖母と電話で話します。特にトルコに来た最初のころは、少ない日本人ともなじめず、かつ現地の友達も少なく、一人の時間が多かったです。孤独感を非常に感じ、落ち込んでいました。そんな時、祖母との電話で「トルコにこれていることが本当にすごいことだよ。自分のやりたいことができる今、挑戦しなさい」と言われ、前を向いて勉強に励むことができました。 |
|
Q:苦労していること 話しかけられるのがトルコ語でないこと。私を見ると、必ず英語か中国語で話しかけてきます。フランスでは誰であってもフランス語で話しかけてくれるのに、トルコでは私をよそ者のように扱われてしまいます。それが嫌に感じていましたが、最近はそれを「個性」だと受け入れ、自分からトルコ語で話すことによって環境を変える努力をしています。 Q:みんなに伝えたいこと 短期でもいいので、海外に住むことをお勧めします。そして、言葉や文化を肌に感じながら学ぶのは、非常に有意義です。今まで見えなかったような、視点が増え、多様な考え方ができるようになります。 世界でも、アルバイトをがんばるだけで世界に飛び出せるのは、日本と数少ない国だけです。せっかく日本人に生まれてチャンスがあるので、海外に飛び出して欲しいです・ |
|